2009年8月30日日曜日

岡山市清輝橋ロータリー跡

岡山県岡山市清輝橋交差点。

水道局前と同じような小規模なロータリーを形成していたと考えられます。



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岡山市水道局前ロータリー跡

岡山県岡山市水道局前交差点。

水道局前交差点は、大共交差点や柳川交差点に比べると小規模にみえます。



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岡山市十日市ロータリー跡

岡山県岡山市十日市交差点。

ロータリー方式の交通制御が日本で普及しなかった理由のひとつに、道路容量との関係があると考えられます。
戦後の復興期に道路が整備されていったいっても、現在の道路網と比べると目的地へ向かう選択肢は少なく、どこの都市でも同じ交差点を通らないと街を抜けられないような構造だったのではなかったでしょうか。
現在のように郊外のバイパス道路が整備された状況では、まちづくりの一環として、シンボル的なロータリーの復活はありなのではないかと思います。


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岡山市大共ロータリー跡

岡山県岡山市大共交差点。

ここも柳川ロータリー跡と同じような経緯で整備された交差点。


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山陽新聞の記事によるとロータリーを通常の信号制御の交差点に改良した場合、道路の構造がわかりにくくなってしまい事故が多く発生している模様です。

岡山の大供交差点 来月から改良県内人身事故の最多発地点

 国土交通省岡山国道事務所と岡山県警は30日、県内の交差点で人身事故件数が2年連続ワースト1の岡山市・国道2号大供交差点の改良工事を11月から始める、と発表した。歩行者や自転車との出合い頭の事故が多発している車の左折時の安全対策が柱。

 大供交差点は市役所(同市大供)そばにあり、人通りや車の交通量が多い上、車道や歩道が複雑に交わる形状。人身事故は昨年29件、06年26件発生しており、県内最多を記録している。「進行方向が分かりにくい」とドライバーの苦情も後を絶たず、総事故件数の5割近くを「車の左折時」が占めている。

 計画によると、市役所寄りの南東部では、横断歩道を分断するように走っていた左折カーブを廃止し、左折車線を独立。歩行者などと接触しやすい道路構造を解消する。

 また、倉敷市方面からJR岡山駅に向かう左折カーブをきつくするなどして車のスピードを低下させる。交差点の3カ所の左折カーブは常時左折可とし、車のスムーズな通行を図る。

(2008年10月30日)

岡山市大雲寺ロータリー跡

岡山県岡山市大雲寺交差点。

こちらも、同じ岡山市の柳川ロータリーと同じような経緯で作られたロータリーと考えられます。
都市の印象的なシンボルとして、優れているものと考えられるのに交通量の増加に耐えられないという理由で信号制御に改められてしまうのは、非常に残念です。


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岡山市柳川ロータリー跡


岡山県岡山市柳川交差点。

岡山市は、戦災に遭ったため、戦後の復興時に道路の拡幅と同時にロータリーの建設が進んだようです。写真を見ると、かなり大規模な立ち退きが行われているようにみえます。

今では、その交差点にもグレースタワーという高層マンションが建設され、大きく様相が変化しました。




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群馬県桐生市錦町ロータリー交差点

群馬県桐生市錦町。
ロータリーの跡です。


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桐生SNS
さんにこの歴史についての記述があるので、メモしておきます。

★「錦町ロータリー」の歴史
昭和16年にロータリーらしきものが出来ました。
その後、終戦の昭和20年10月5日進駐軍が来てロータリーの中に歩哨小屋をたて駐留していた。
M・Pが交通整理などをしていたそうです。
昭和25年10月18日に噴水が完成し、11月に植栽されて完成しました。
昭和32年8月30日に撤去が決定しました。
交通量が増加し、車の流れを制御できなくなったそうです。
昭和33年7月5日に昭和通りが開通しました。
僅か7年間でしたが、「錦町ロータリー」として地名となりました。
Google画像検索の錦町ロータリーの結果